7月31日(木)の道新、小樽後志に「カクジュウ佐藤家」の一般公開の記事が掲載されました。
このカクジュウ佐藤家は、私と一緒に議会議員として活動した、そして私自身とてもお世話になった、佐藤敏先生の生家(?)、本家です。
この機会なので、敏先生に思いを馳せながら、その歴史を探ってみます。
歴史の潮流の中で:源義経家臣の末裔が紡いだ由緒
北海道寿都町の国道229号沿いに立つ美しい屋敷――通称「カクジュウ佐藤家」は、その名の通り源義経の忠臣・佐藤継信の子孫が建てたものです。
継信が義経を守って戦死したという物語を大切に受け継ぎ、佐藤家がこの地で名家として知られるようになった背景には、“長押に輝く「源氏車」の家紋金具に表れる歴史的な重みと家の正当性を伝える力”がありました。
さらに、漁場請負人や駅逓(えきてい)取扱人として人々の信頼を集めた佐藤家は、武家の家柄と商才を生かして、地域を代表する大商人としての地位を築いていきました。

「漁場請負人」とは、江戸~明治期の漁業制度の中で、藩や国(役所)から沿岸漁場の経営権を一括で請け負い、運営する事業者のことを指します。
具体的には以下のような役割と責任がありました。
- 漁場の管理運営
- 請け負った漁場(たとえばニシン場)での漁獲権を独占的に得て、漁場に出入りする漁船や漁夫の管理を行う。
- 漁業道具(網、船、薪など)の調達・維持や、漁期の調整・監督も担う。
- 年貢・拠出金の納付
- 漁獲量に応じた年貢や拠出金を藩・国に納める義務があった。
- 漁場請負人は漁の成果を運営コストや年貢を差し引いたうえで利益を得るビジネスモデルであった。
- 漁夫・労働者の雇用管理
- 多数の漁夫(季節労働者)を雇い入れ、その生活や安全もある程度面倒を見る。
- 漁場に集まる漁夫たちの宿泊場所や食糧、賃金の支払いなどを手配。
- 加工・流通までの取りまとめ
- 水揚げしたニシンを干す、加工する施設(干場や加工場)を整備。
- できあがった製品(干鰊や鰊油など)を市場へ売り出す流通ルートを開拓。
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佐藤家の場合、嘉永5年(1852年)に松前藩から歌棄・磯谷の二漁場を請け負い、沿岸一帯のニシン漁を統括していました。
高度に組織された運営を通じて、当時最大級の漁場を効率よく管理し、藩に年貢を納めつつ自らも大きな利益を上げることで、豪商としての地位を確立しました。
漁場請負人は、ただの“漁師”ではなく、漁業という産業を経営・統括する企業的な存在だったのです。
「駅逞取扱人(えきていとりあつかいにん)」
明治期の「駅逞(えきてい)」とは、郵便・運送・宿泊・連絡業務などを一手に担った地方の公的施設(いわゆる郵便局+旅籠+運送屋の役割を合わせたようなもの)で、駅逞取扱人はその運営責任者です。具体的には、
- 郵便物の集配・仕分け・中継
- 旅客や荷物の輸送手配(馬や人足の手配)
- 役人や旅人の宿泊・休憩所の管理
- 連絡事項や公文書の取り扱い
などを請け負い、地域の交通・通信インフラを支える重要な役割を果たしていました。佐藤家は寿都町でこの駅逞取扱人を務めることで、公的信頼を得るとともに地域経済の中核を担っていたのです。
ニシン漁最盛期を支えた豪壮な御殿の誕生
嘉永5年(1852年)以降、佐藤家は歌棄・磯谷二地点の漁場請負人に抜擢され、明治初期には駅逓取扱人として浜辺に郵便局を兼ねた邸宅を構えます。
口伝では明治3年(1870年)完成とされる一方、専門家は洋風意匠の外観から明治10~20年代(1877~1887年)築造を推定。
どちらが真実かは謎めいていますが、いずれにせよニシン漁の隆盛とともに莫大な富を投じた邸宅であることは揺るぎません。
明治23年(1890年)頃にはすでに「親方邸宅」としてこの豪邸が機能し、まさに「ニシン御殿」と呼ぶにふさわしい威容を誇っていたことでしょう。

技術革新を担ったリーダーシップ
佐藤家が語り継ぐ最大の功績は、従来の小手網漁から一歩進めた建網(行成網)漁法――通称「鰊建網」の創成です。
嘉永3年(1850年)にはすでに歌棄・磯谷に建網代を設置し、その功績を称える石碑は昭和30年(1955年)に「北海道建網漁業発祥之地」として建立されました。
また、安政3年(1856年)には自費で20キロの道路を開削し、民間主導のインフラ整備を成し遂げた末、「佐藤」の苗字帯刀を許された逸話は、幕末の北国開拓史の一幕として今も語り草です。

和洋折衷が生んだ建築美
カクジュウ佐藤家は、和風の寄棟屋根や桧材の漆塗りを基調としながら、下見板張りの西洋風外壁や櫛形ペジメント付き上げ下げ窓、六角形の明り取りなど、洋風意匠を大胆に融合。
間口24.3m、奥行18mの大邸宅には17の居室が並び、機能性と格式美を兼ね備えた空間が展開します。
とりわけ漁夫宿泊部を別棟に分離した設計は、親方としての威厳と家族のプライベートを明確に区別し、社会階層を空間的に表現した稀有な事例と言えるでしょう。
文化財指定への道──保存と未来への架け橋
1968年には「北海道指定有形文化財」、2016年には「旧歌棄佐藤家漁場」として国指定史跡に認定され、主屋から前浜の袋澗、干場、稲荷社に至る漁場全体が歴史景観として保護の対象になりました。
2015年の町への寄贈を機に、現在は寿都町役場とボランティアが協力して整備・保存作業を継続中です。
老朽化対策や耐震補強、展示プランの策定など、多岐にわたる準備はまだ途上ですが、「当時の生活を感じられる展示」への期待は高まるばかりです。

観光資源としての可能性と地域活性化
カクジュウ佐藤家は、追分記念碑や寿都湾の牡蠣小屋、鰊御殿レストランといった周辺スポットと連携することで、歴史・食文化を巡る「体験型ルート」となるかもしれません。
ニシン漁の物語を学び、漁業親方の邸宅で往時を偲び、北海道の歴史を感じてみる。
そんなひと時も良いかもしれません。
ぜひこの機会に足を運んでみませんか?
佐藤家の一般公開は、今月8月8〜10日まで。
お問い合わせは、寿都町教育委員会
0136-62-2100



